アシダ音響のヘッドセット

コロナ以降、オンラインでやりとりすることが増えた。そのことでどんなヘッドセットやイヤホンを使うという問題が発生したわけだが、僕はアシダ音響(ASHIDAVOX)のMT-669CTに落ち着いた。

これのいいところは、①有線であるということ、②片耳しか塞がないということ、③マイクが口元にあるということである。これによって遅延なく、明瞭に声を届けることができる。

今日もオンラインミーティングで、このヘッドセットを使った。ただ、イヤーパッドのスポンジがいよいよダメになってしまった。そこで公式から交換品を注文したら、すぐに届いた。こうした、交換品がきちんと用意されているところもいい。長く使い続けたい。

作者を捉える 「漱石を読みなおす」(ちくま新書)

小森陽一と言えば、大学で近・現代文学を専攻した人ならもれなく知っているような、いわばスター研究者である。文学部に入学したばかりの何も知らない大学生が、有名という理由のみで小森の本を手に取り、彼の批評理論を用いた鮮やかな分析に魅了されてしまう。何を隠そう私もその一人である。

そんな小森による本書は夏目金之助/漱石という「作者」について書かかれている。このようなことを聞けば、小森の仕事を知っている人なら意外な感じを抱く。というのも小森は構造主義的、あるいは記号論的な立場を採ってきたからである。

本書は全部で9章からなっており、これらが「漱石」を記述していく切り口になっている。それぞれのテーマについて小森は漱石の作品、その背景にある社会的文脈についても言及し、「漱石」を記述する。その過程は鮮やかであり、小森の提示した9つの視点でもって漱石の作品たちを読みなおしたいという気持ちにさせられる。

章ごとにある程度完結しているし、特定の作品の分析部分だけ読むといった断片的な読み方も可能だが、読み通すと固定化された「漱石」のイメージとは違った、別の「漱石」が、しかも複数立ち上がってくる。小森自身、「あとがき」で「一見伝記的事実に即しているかのような書かれ方をされていますが、それは文豪や偉大な思想家として出来上った「漱石」から、過去をふりかえるような伝記とは似て非なるものです」と述べる。偉大であり、それゆえ手垢がついた「漱石」からその作品群を照射するのではなく、一個一個の作品から「漱石」を記述することを試みているのだ。小森の用語で言えば、「内包された作者」(『文体としての物語』)の記述ということになろうか。

本書は、「漱石」という作者に限らず、広く読むという行為における揺らぐ作者というものを見せてくれる。このことは文学の授業において作者から作品を見ることの不可能性を証明している。

本質的な議論の先に 香西秀信『反論の技術――その意義と訓練方法』(明治図書)

最近、ちくま学芸文庫に香西秀信の『修辞的思考――論理でとらえきれぬもの』が入った。『修辞的思考』は明治図書で出版され、長らく品切れ・絶版となっていたもので、今回、版元を替えて刊行された形である。

『修辞的思考』はまだ購入すらしていないので、『反論の技術――その意義と訓練方法』(明治図書)を再読することにした。

本書は「Ⅰ 議論指導における反論の訓練の意義」「Ⅱ 教師のための「反論」自修法」「Ⅲ 反論の訓練」で構成され、反論の技術が議論の上でいかに重要であるかが主張される。

Ⅱでは教師に限らず使える自修の方法が示され、Ⅲでは学生の文章を示しながらの授業のような形になっている。ただ、Ⅰが理論編、ⅡとⅢは実践編と理解よりも、ⅡとⅢがⅠを中心に繰り返される全体の主張を補強する形になっているという理解の方が正しいように思われる。

本書のなかで著者は先人の主張を参照し、反論を「「主張」型反論」と「「論証」型反論」に分けている。その上で、初期の段階では「論証」型反論を訓練すべきという考えを示すのだが、著者自身も言うように、「論証」型反論をまずは訓練するというのは効率的である。

私はアカデミック・ライティングを初年次教育として担当するが、レポートを作成する際に自己の論証に対して反論を一旦置き、それに反論するような構成を指定している。その際「「主張」型反論」ではなく、「「論証」型反論」にするように伝えているのだが、「「主張」型反論」を置くと自分の主張と反論が平行線に陥ってしまい、議論の海に溺れてしまうことを思ってのことである。

本書は、そのタイトルからビジネス書のように思われるかもしれない。しかし、そこには一朝一夕で使えるようなテクニックは書かれていない。もっと本質的な議論の能力を身につけるため方法が示されている。だからこそ、自己の技術の向上のみを目指し、誰かを「論破」することを目指す人には向かないだろう。建設的な議論の先に分かり合うことを掴もうとする人に向いている本である。だからこそ、子どもたちを導く先生たちにはぜひ読んでほしい一冊である。

荷物考

四月から通勤時間が増えた。徒歩五分だったのが、今や電車やバスを乗り継ぎ片道一時間半になった。

僕は心配性である。往復の三時間の間に何か困ったことがないかと備えてきた結果、荷物が多くなっていった。

現在の鞄の中身は、財布、パスケース、鍵、手帳、筆記用具、クリアファイル、ノート、カードケース、薬類、扇子、サングラス、パソコン、モバイルバッテリー、コード類、本、タオルを基本とし、新聞や本をもう一冊、傘などが入ることもある。

とにかく、鞄が重い。

鞄が一つの時はまだいいのだが、先日そこそこの重さがある手土産を携えた時などは辛かった。満員電車でリュックを前にしようとした時、バランスを崩し、鞄の中身のいくつかが電車の床に散らばった。

鞄が重いという問題を解消するため、方法としては二つが考えられる。一つは荷物を少なくすること、もう一つは荷物を軽量にすることである。

前者については、およそ不可能だと思っている。先に述べたように、心配の行きついた先だからである。おそらくパソコンが不要だという人がいそうだが、いつ仕事が来ても対応できるようにしたいという気持ちからそこは削れない。

他のものについてもモバイルバッテリーやコード類は、iPhoneの充電を切らさないためであって、それはクレジットカードやPASMOが入っているからである。ちなみに荷物の一覧に「パスケース」とあるが、定期券は路線数が多くて一枚にまとまらなかったので一部区間がスマホ、残りはカードなので必要である。

そこで後者の方になるのだが、パソコン以外は軽量なものばかりである。パソコンだった一キロを切るぐらいには軽量な方である。しいて言えば、鞄そのものはやや重い。六年戦士のAerを軽量なものに替えること。それぐらいしか方法はない。

こうしてみると、結局のところ、背負っている鞄の重さは僕の生き方そのものなのだと受け入れるしかなさそうだ。仕事も万が一への備えも、僕には手放すことができないのである。そう結論づけてしまった以上、重い鞄と共に満員電車に揺られ続けるしかない。

サイトをリューアルする

この三ヶ月、完全に放置していた個人サイトを久しぶりに開いてみた。垢抜けないサイトがまだそこにあった。

そもそも垢抜けないデザインにしたのは、意図してである。素人感が出て、平成っぽくて研究者の個人サイトとして適当な気がしていた。サイト作りに時間をかけていると思われたら、いろいろと都合も悪い。

ただ、5月に大学院の先輩から「井上くんのサイトあるんだね」と言われた時、サイトのページを一つ一つ思い浮かべ、恥ずかしい気持ちになった。その恥ずかしさは、垢抜けないデザインに確固たる思いなんてなかったことの証明である。

要するに垢抜けないデザインに留めていたのは、サイトの運営に時間をかけられないということの他に、技術的な問題やデザインのセンスのなさを誤魔化すためだった。

そしてサイトは垢抜けないまま、更新もされず今日の今日まで放置された。これは半分言い訳だが、デザインの悪さは書く意欲を減退させてもいた。

今日は七月最初の土曜日。ちょっと晴れ間も見えたし、サイトをリニューアルする気になった。夏に研修会を頼まれてスライドのデザインを少し勉強したり、AIと対話しながらアプリケーションを作るようになったこともそれを後押しした。

結局、かなりの時間を使ってしまった。そしてまだ未完である。しかし満足いく感じまでにはなった。そして、こうして書く意欲も回復しつつある。

思えばこの三ヶ月はずっと疲れていた。職場が変わり、その仕事に結構な割合でコミットしていた。今日は夕方から大学時代の友人と会う約束になっている。ちょっとだけだが、余裕が生まれてきたのかもしれない。

教科書セミナー「教科書研究センターの研究成果物を教材とした大学・大学院のシラバス開発と授業実践に関する研究-国語科教職課程関連科目を中心として-」の開催

令和8年8月7日(金)に「教科書研究センターの研究成果物を教材とした大学・大学院のシラバス開発と授業実践に関する研究」の研究成果についての報告会が開催されます。私は13時20分頃から登壇予定です。

詳細、申し込みはこちらから。

西田太郎編著『だから、「子どもの問い」で読みの授業が進まない』(明治図書)の出版

西田太郎先生にお声かけいただき、「少年の日の思い出」の分析と授業プランを出させていただきました。ぜひお読みください。

「国語教科書で「作者=宮沢賢治」はどのように位置づけられてきたのか?」が掲載

『美作大学・美作短期大学部紀要 』通巻71号に「国語教科書で「作者=宮沢賢治」はどのように位置づけられてきたのか?—「注文の多い料理店」と「やまなし」の「てびき」の分析を通じて―」が掲載されました。こちらからお読みいただけます。

「「小さな手袋」の語りと学習」が掲載

『国語探究』第 8号に「「小さな手袋」の語りと学習」という論文を掲載していただきました。こちらからお読みいただけます。